お父さんのアウトライン

年齢79歳
家族構成奥さん他界。一人暮らし
症状・病気大腸癌術後、人工肛門
保険介護保険・要介護3
訪問看護週3回

今日も中村さん綺麗やなぁ~

難儀なオッサンやろ(笑)。こんなオッサン他におらんやろ?

こんな、難儀で愛おしいオッサン居てないよ(笑)

そうかぁ~(ハニカミ照れ笑)今日も中村さん綺麗やなぁ~。

そんなん言うても、酒に呑まれて石を枕にふて寝してたコウタさんの記憶は消さんからね!(笑)。でも、こんな穏やかな日が来たって嬉しいねぇ。まぁ、あの時はあの時で楽しかったけどね~(笑)。いつも、褒めてくれてアリガト。コウタさんも、今日も男前やん!

これが、コウタさんと私。定型文のような(笑)お決まりのやりとりでした。

私たち看護師が担当していたコウタさん。スタイル訪問看護ステーションの広告塔的な大切な大切な存在。素敵な男性。

先日、入院先の病院で静かな旅立ちの時を迎えられました。そして、葬儀への参列をさせていただき、最期のお見送りをさせていただきました。

酒、ギャンブル、事故、癌の再発・・・

酒

彼は私たちと共に過ごした3年の間に、波乱万丈な人生模様をみせてくれました。

妻に先立たれ、酒やギャンブルでお金を使い果たし、お酒づけの荒れた生活。

ある事件に巻き込まれ、大怪我をして搬送された病院で癌がみつかり、ストマに。事故後の後遺症で手先の動きが鈍くなってしまい、細かなパウチ交換などの自己管理が難しいということで、訪問看護が始まりました。

それまでは酒やギャンブル、自転車操業のお金管理だったところを、ヘルパー、ケアマネ、看護師の介入で少しずつ生活全般を見直していき、アルコールを減らし、お金管理もできるようになりました。

なにもなかったお部屋にはやっとエアコンやTV、洗濯機が入り、落ち着いた生活を手に入れたところ、集合住宅の火事に巻き込まれ、一時避難生活へ。次の引越し先をみつけ、生活が落ち着いた頃に、癌の再発による食欲低下と痛みの出現。

生活面、医療面両面から考えて、在宅での一人暮らしは限界と判断。病院に入院となり、3ヶ月の療養ののち永眠されました。

「ごめんなぁ」から「ありがとう」のオッサンへ

ありがとう

彼の凄いところは、すべての捉え方が大きく変化したこと。

「ごめんなぁ」が口癖のコウタさん。申し訳なさそうな言葉をもらうことで、こちらまでやってる事が申し訳ない気持ちになる。だから、「ごめんではなく、ありがとうが欲しい!」と伝え“ありがとうノート”を置いてみたところ、彼は大きく変化していきます。

きっと書かないだろうなぁ。こちらの期待を大いに裏切り(笑)、感謝ノートに自らも「ありがとう!」を書きあげていってくれたのです。「ごめんなぁのオッサン」は、見事なまでの“ありがとうのオッサン”に大変身したのです!

そして、日常にありがとうの言葉が増え、勝手に感謝に思考が向くようになり、すべての物語が書き換えられていきます。

癌を見つけてくれた、事件がきっかけの入院。ある意味あの事件のおかげ。生かされてる自分はluckyだ。

→地元のニュースにとりあげられたほどの事件の被害者だったにも関わらず、笑いながらその状況をluckyだと語る(笑)。

お金の管理を手伝ってもらえたことで、エアコンや洗濯機も買えてありがたい♫

→金銭管理導入には随分抵抗し、かなり時間を要した。その事実はなかったことに(笑)。

ヘルパーさんも、よくしてくれてありがたい。

→かなり毛嫌いして訪問を拒否したことも、彼の記憶の中にはなかったことに(笑)。

なんでもありがたがるコウタさん

ありがとうも言葉たち
  • どん兵衛うまい♫ありがたい!
  • 円広志おもろい♫ありがたい!
  • ちちんぷいぷいオモロイ!ありがたい!
  • 洋画劇場を真夜中見れて嬉しい!
  • 看護師、ケアマネありがとう♫
  • みかんうまい♫
  • スシローうまい!

その喜びノートも、集合住宅の火事で燃えてしまうのですが・・・。

息子!頑張れ!命!ありがとう!

→今までの重ねた歴史から、唯一の家族である息子さんとはここ数年音信不通でありながらも、「これで良かった、自分が側にいたら、迷惑かけていたはず」と語る姿。息子はとても優秀で、そこは嫁さんに似たんだな、とはにかむ笑顔は、息子を愛する優しい父親の顔でした。

火事で焼け出されても、命あるだけありがたい!

→普段から住民にも周りにも、火だけは気をつけろ!と口を酸っぱく言われていた彼。いろんなところに「火の用心」を自筆で書きなぐり、自ら注意喚起。火事の情報をうけ、出火元は、コウタさんの部屋ちゃうか?周りの支援者は大いに心配しました。ごめんねコウタさん!(笑)。

本人も「僕やと思われてそうやけど、ちゃうねん。そりゃ僕や思われるわ」と疑われることを責めるでもなく、笑っていられる。

焼け出された後も、たくさんの支援物資や人の支えに、

ありがたい!ありがたい!

と連呼。

→実際いろんな人から、服や下着や食料、日常生活に必要なものが届けられ、避難所での集団生活の中で、周りはストレスをためていきイライラしているのに、彼はひょうひょうと笑顔でみんなからの愛を思いっきり受け取りながら、ハニカミ笑顔で豊かに生きています。

  • 入院中も、痛みが少しマシでありがたい!
  • お見舞いきてくれてluckyな男だ!ありがたい!
  • ご飯あって暑さしのげてありがたい!

いつも訪問看護師をはにかんだ笑顔で迎え、送り出してくれていました。

笑っても1日

天使のおっさん

「笑っても1日♫」

彼が大切にしてきた言葉です。

いつも自分の体調や生活のほうが大丈夫か?!というくらいなのに、「自転車気いつけや!カラダ気いつけや!ありがとう!』の言葉で私たちを見送ってくれる。

どん兵衛をレンジでチンしてどえらい調理してみたり、ネギの束はハサミでカットして投入、冷凍ピラフを常温で食べていたり(笑)。豚まん大好物で、チャリで転けて手を血みどろにしながらでもコンビニへ買いにいく(笑)。

ワンカップも大好き。時折寒さでトイレが面倒だとキッチンをトイレにして、看護師にどえらい怒られてみたり(笑)。はじめはワンカップを飲み過ぎて、酔ってうんこまみれになってたり、家の鍵をなくして家の前の石を枕にふて寝してた彼でしたが(笑)。

最期の時まで「難儀なオッサンや」と言いながら、はにかんだ笑顔が本当に素敵。私たちにとってはどんな時も愛おしい“天使のオッサン”でした。

癌の再発により入院

波乱万丈のこの数年を乗り越えてきたコウタさんでしたが、癌の再発により食欲低下と痛みの出現。生活面、医療面両面から考えて、在宅での一人暮らしは限界と判断し、病院に入院となりました。

私は、その人にとってBestの最期の場があると考えます。

最期の場所の選択肢は、在宅、病院、施設といろいろあると考えています。それは場所や身体の状態、心の状態だけでなく、経済面も。家族やサービスとしての支援体制、設備、まだまだ いろんな条件が重なり合って、療養環境はできているからです。

コウタさんの場合は、独居であり、生活面や経済面から支援だけではまかなえない状況であり、近い家族も居ないということなど様々な視点から、病院がBestであろうということになりました。

心穏やかに生きる人は、平和な世界観がもてる

お見舞いに2回うかがったのですが、彼の「笑っても1日♫」は、退屈であろう入院生活でも存分に活かされていました。

彼曰く、隣の人はとてもいい人で、自分のことを助けてくれるありがたい存在だと(実際は完全に寝たきりの患者さま)。

私の娘と2人でお見舞いにいったのですが、スカートはいてる娘に、

野球したらいーわー、僕

ちょっとー!うちの可愛い娘やし!坊ちゃんちゃうわっ(笑)

いやー可愛らしいやん♫ お母さんに似て!

なんてやりとりもしつつ。

彼曰く、たまに猿が3匹ばかし遊びに来ているとか。それはそれで、まぁ支障なしとひょうひょうと語ります。

心穏やかに生きる人は、刺激が少なくストレスがあったとしても、恐れや不安の世界観ではなく、豊かさは変わらない平和な世界観がもてるのかもしれないと、私は年老いることや脳機能の変化にすら希望をもらえました(笑)ありがとう!

その後お見舞いに来たケアマネさんにも、私のお見舞いは覚えていてくれて伝えてくれていたとか。中村浩美はちゃんと私の姿で記憶に残ったこと。なんだか嬉しい♫(笑)

豊かな最期におつかれさま!

そんな彼の最期が病院で静かに訪れました。

その訃報をケアマネさんより電話で聞き、泣きで有名な私ですが、今回は落ち着いて電話をとることができました。

悲しさも、寂しさも当然あります。

でも。

何よりも、お疲れ様!という気持ち。

そして。

きっと、一瞬でも幸せの体験を共に創ることができ、それを胸に旅立ってくれたにちがいない。

そう、勝手に思えたことで、生ききってくれてありがとう!いっぱいいっぱいありがとう!そんな気持ちで満タンになれたからです。

今まで私は自分の価値観だけの世界で、一人っきりで旅立つことってかわいそう、寂しいこと。そう決めつけていたのかもしれません。

でも。

きっと数ではなく、質。
その人らしい豊かな最期ってあると教えてもらいました。

私とお坊さん、2人だけの見送り

和室

旅立ちのお葬式。

本当に親類も知り合いも何もなく、私とお経を唱えてくれるお坊さん、2人だけでのお見送り。それはとても静かで、とても彼らしく、とても優しい時間でした。

綺麗な八畳くらいでしょうか、畳の和室、木の祭壇、両脇に大きな立派な白い花達が飾られています。遺影もない。その前に静かに眠るコウタさん。とても優しいお顔で今にも、

「中村さん綺麗やなぁ♫」

難儀なオッサン得意の天使のはにかんだ笑顔で喋りだすんじゃないかと、期待してしまうほど(笑)。

そこに私の持っていったどん兵衛、タバコ、ワンカップ。斎場の方の心くばりで、すべてにリボンをくくり祭壇に飾っていただきました。どこまでコウタさんらしいんでしょう(笑)。

お経をBGMに、コウタさんとの日々があれこれと思い出され目に浮かびます。

あまりにも寒々としたお部屋。我が家で使わなくなった毛布やシーツをもって休みに娘と家にいき、手作りのお弁当の差し入れをしたこともありました。「ありがと」と言葉少なくはにかむオッサン。うちの毛布やシーツをずーっと使ってくれていました。

お寺さんでいただいた御数珠。コウタさんに御守りに!と渡してからずっと、入院中もずーっと、彼の腕にはその数珠が一緒にありました。

言葉はなくても、行動が私への嬉しいお返し♫

病気を機にひろがるご縁

「難儀なオッサンやろぉ~」といいつつ、はにかんだ笑顔であぐらをかき、タバコをふかしながら円広志を絶賛する。

天使の愛おしい自称難儀なオッサンの姿で、こちらを見てくれてるような。なんだかとっても日常な感覚に引き込まれます。

友達や親戚がたくさんあったわけでもなく、そんな日常にストマという医療行為が必要になったことで、私たちという支援者が無理やりでも関わりを持ち始めることになりました。

彼を囲む人のご縁が、病気を機にいっきに広がるわけです。そこから人生の最終章を共に紡ぎ始めました。

訪れるのはサービスを提供する支援者だったかもしれないけど、そこには人とのご縁。まさに中島みゆきの『糸』。縦の糸、横の糸、織りなす布でたくさん人をあたためあうことができました。

私だけへのギフトはあたたかい時間

難儀なオッサン

訪問看護の場面で、私たちは最期に出逢う新しいご縁の人になりうる。その出逢いを通して、ささやかな喜びの体験を重ね、生きてきた道を振り返り、豊かな人生の意味づけをいっしょにしていく作業ができる。

それによって、一瞬でも共に重ねる喜びの体験があれば、辛かったこと、悲しかったこと、そんな気持ちもひっくるめて「そんなこともあったよね~」と、最期まで自分らしく生ききる力が湧いてくるかもしれない。人生の味わい深さを噛みしめながら、命の終わりを穏やかに待つことができるかもしれない。

それくらいいっしょに過ごす一期一会の時間は、あったかくて、優しくて、自らの未来づくりに勇気が湧き上がる大切な時間。

そして。

数や量や目に見える形だけではない、百人百様のその人らしさがある。その人らしい最期はある。私だけの価値観をこえて、この世界は優しくてあたたかいことをコウタさんは教えてくれました。

2人きりのお別れは寂しいというよりも、遺された私を特別ゲストとして迎えてくれて、私だけにギフトを届けてくれたあたたかい時間。満たしてくれる瞬間。感謝の時間でした。

愛おしい難儀なオッサン♫

私がそちらに逝った時には、

「今日も中村さん綺麗やなぁ♫」

「コウタさんも男前やなぁ♫」

ホロ酔いであのハニカミ笑顔で、ちゃんと道案内するためにあの定型文で声かけに来てね♫

天使の愛おしい難儀なオッサン♫

ご縁に感謝。

素敵な命をありがとう。